その時間のほぼすべてがBBC放送を付けている最近だけれども、
それももう一か月ほどになる。
日本の地上波を見ていれば、なんと呑気な事か・・・。
なんにでも首を突っ込むべきではない・・・とは強く思うけれど、
それでも僕らの日常の根源が、武力によって崩されている今、
そこから目を染めけてしまうような今で、いいものかと。
子供たちは、涙する子供をみて、心配する。
心が動いている。
そして共感し、なんで、今自分たちが、こうしているのに、
それが出来ていない子供や大人がいるのか、質問が生まれる。
そりゃ、ロシアにも言い分があるのだろうが、
そうなってしまった理由を根拠とする意見もあるが、
それでも、武力を限定的ではなく『使用した、使用し続けている』というのは、
これは根本的な、人類の平和に対する冒とく、自由に対する冒とくだと思う。
そんな、今の現実を知らない、興味のない人が大勢いるようにも感じる。
興味がないのはいけないことだとは思わないが、
興味がないと、無関心とは違う。
興味を持たざるを得ない状況でありながら、
あまりにも暢気だったりしているのが、テレビを垣間見ると伝わる。
『ありがとう』・・・の反対は『あたりまえ』
今の幸せな状況を『あたりまえ』と認識したときに、
人はどれだけ冷酷になっているのだろうかと思う。
その反対に、いつものことに『感謝』を見つけられる人間であるとき、
日々には心の動きも感動も多く訪れて、
豊かな心を持った、優しさのある人間に、
そして自分以外のことに涙を流せる人になれるのだと。
今、これまで当たり前だと思っていたことに、
それが、あたりまえではなく、とっても貴重なことで
守られていたことに気づくチャンスの時でもあるにも関わらず、
なんと暢気な事か・・・
今の子供たちは、
あたりまえの状況ではない環境で学び、生きている。
だからこそ、今の大人が『あたりまえ』と認識し、
比較してしまう過去の環境。
それをこれから先、『ありがたい』と認識できることが、
あたりまえになっているであろう。
それゆえ、今の子供たちが世の中を動かすときになったら、
そもそもが、感謝できる個の数が多いために、
素敵な世の中かも知れない。
それに引き換え、
私はオイルショックの時に生まれたが、
当然赤ちゃんとして、その苦労は知らない。
私が知る、時の流れ、それは、震災などを除けば、
世代として、世の中がどんどん便利になり、
そして苦労せず生きることができていて、
苦労した・・・は、今のウクライナの比にはならないであろうし、
次元が違うこと。
人々が、武力によって強欲を実現することには、命をかけて、反対したい。
コロナともまた次元が違う。
生きることが、生きる権利が脅かされている。
生存していると、生きている・・・というのは違う。