三月十九日、四万十市の特使を拝命した。
本来、僕が受けるより、
四万十でドラゴンライドのために尽力されていた、
安倍翼さんをはじめ、そもそも四万十の方々が受けるべきポジション。
まあ、それでも、僕も四万十の為に動きやすくなるので
心して拝命させていただきました。
感謝です。
さて、四万十市の特使になって改めて思う事は、
此処何日かも書いてきたこと。
それと共通すること。
一人当たり県民所得は、全国都道府県中、45位で、そのくせ、医療費は日本一かかって
しまう高知県。
勝手な価値観で、幸せランキングを付けられてしまった場合、
それは高い方ではない高知県。
そんな高知県の中でも、四万十は、
高知龍馬空港からも車で2時間以上。。悪条件が揃っているとも言われ、高知の中でも大変だと。
ただ、この書き方、全てが『訪れる側』からの書き方であること。
つまりは、高知の中でも、四万十で暮らして、四万十で完結に近い時間を、生活をしていたらどうだろうか?『大変』という表現は、当てはまらない。
そのベクトルの上で考えねば。
さて、幸福度ランキングに、そこで住む人々の表情が、条件として入っていない。
もし、幸せ表情ランキング、すぐ友達になるランキングがあれば、
高知はそれこそ一位は確実なんじゃないかとも思う。
これは、昨年、尾崎知事へのインタビューでも、仰られていたこと。同感。
そういった指標での判断ではなく、
あくまで東京でのライフスタイルから判断して幸福度なんて決めてどうするんだろう。
これでは、
井の中の蛙が、井戸の中でない事を、不幸と言ってる様なもの。(笑)
僕にはそう感じて仕方ない。
東京の価値観ばかりに囚われることなく、
自分にとっての幸せの判断基準を、
見つけることを忘れてしまっている自分たちが居るんじゃなかろうか。
そう、自分自身が反省する。
高知の方々は、僕の知る色々な場所の中でも、特に個人あたりの笑顔総量がダントツに多い様に感じるのです。
人口比から考えた場合でも、そこまでは行かないと思えても、
県あたりの笑顔総量もダントツではないかと思う。
逆に、人口が多すぎないから、笑顔には適度な人口密度と言えるのかもしれない。
そして、比較をほぼ気にしない。
気にしたとして、データを知っても笑い飛ばす。
笑い飛ばせるのだろう。強い。
僕には強い憧れでもある。
では、問題がないかといえば、そうではない。
それはちゃんと理解している。
理解した上で、比較を意味ないものともわかる。
同じ土壌での比較なら意味あるかもしれないが、
土壌が違うし、それは、価値観が違うから、そもそも比較に当たらないことも知っている。
日々の口に運ぶものの旨さだったり、日常で目にするものの美しさだったり、それを当たり前と思わずに生きている価値観と創造力。
それがあるから、幸せ総量が高いのだとも思う。
僕も、いつか四万十に家族で住みたいと思っている。
問題は仕事だ。
仕事、好きなことをしているが故、『いつか』になる。僕の場合。
ただ、ほんとにそこに、辿り着くためにも、四万十に、今の僕に出来ることは、今の自分だからこその動きをしたいと思う。
もし、仕事よりも『家族』と想う気持ちが強ければ、今すぐ高知、今すぐ四万十は選択肢だ。
それを、もっともっと、確かめて行きたい。