どこかで、『これがいい』でなく、
『これでいいや』になってる場合があったりする。
そういう現場があること、すごく悔しくも思う。
サラリーマンであったり、ルーティンワークの中で、『無難だから』と。
『攻める』ことが、それでこそ自ら楽しさやワクワクすることになって、
ないしは、なんかの意義があったり。
その先で、聴いている方々にワクワクして頂けることに連結していることを、もう見向きもしなくなっちゃって…。
無難であるために、『これでいい』が存在しちゃうこと。
そういう現場で登場する打算的発言は情けない。
番組を育てようとする、スポンサーがいてくれる。ありがたい。
それが、どれだけ大切なことなのか。
会議の中で痛感する。
一方、現場がもし、打算的な発言を押し通すならば、お金を集めてきてからにして欲しい。その感覚も現場は忘れちゃいけない。
両方が考えて欲しい。
例えば、その番組が、どんな経緯で誕生したのかを。
その時のパッションがどんなものだったか。
スポンサーだって、気軽にポンとお金を出してるわけじゃない。
そこを代理店が頑張って、局や番組に繋げているのだから。
その間で仕事ができている少ないポジションに居るからこそ、わかることもある。