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公平か、不公平か?いやいや、出来ることを。

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人間、そもそも不公平な生き物だと思う。

生まれた時からにして、身長も違えば顔も違い、性別の違いいろいろな違いがある。だからこそ、その違いの上に、特定の人を好きになったり、好きにならなかったり…。

不公平だからこそ人間であって、それがまた魅力なのだと思う。

不公平を甘んじて受け入れて、その上で、生きていくからこそ、公平感が育って来もする。

そして「自分の知る範囲」である範疇・・・と言うもの人間の行動の関係から考えて、

そもそも限られてくる。

その中で生きていると言うことが日常であり、

また不公平という漠然たるものを、その中で極力、個人の価値観中で排除すると言うことが、

人間が作り上げてきた価値観の中での「公平」と言う漠然としたものに向かう1つの道筋なのじゃないかなと。

今年の僕の誕生日の前日、僕は川崎駅にいた。

そこでやっていたのが、写真にもあるように渡米して手術を受けることしか、生きる道の残されていない佐々木あやめちゃんと言う2歳の女の子のためのカンパ活動。

そんあ彼女の存在を僕が知るスタートだった。

この出会いからして偶然。

その偶然を運命と考えることだって出来る。

写真を見たときに、この子の笑顔何とか見続けていたいなと思わせてくれ、そして、そこにいたおじいちゃんとも話すことができた。

話を聞くうちにこの子に何かできることはないか…という思いが、

自分の中に生まれた。その上で僕に出来ることといえば、仕事の範疇ではラジオを使って彼女の存在を伝えると言うこと。

個人で言えば、寄付すること。

こんな事話すと、

「人によっては、同じような病で苦しんでいる人がいるのになぜ彼女だけ?」

と言うような意見もあるわけ。まあ、そういう感覚もわからないではないが、

それを言ってしまったら、何も始まらないと思う側面だってある。

彼女のボランティア活動が川崎であったから出会い、その偶然が重なってその出会いの範疇において、出会った人は自分に出来る何かを成し遂げようとするんじゃないだろうか。

それを全世界を公平に!なんて言う大それた観点の下、ひもといてしまえば、そもそも今僕らの生活でさえ不公平である。

それを棚に上げて、たったひとつのレアケースであるこの案件に、

不公平だ・・・公平ではない・・・と言う意見が出ることが、僕としては何か違うように感じたのだった。確かに言わんとすることがわかる。わかるんだよ。

だけれども、世の中、公平ばかりを追っていってしまっては、何事も始まらない。だってスタートが不公平なんだから。

その公平を考えている頭脳でさえも、わからない視点だってある上で、「公平」を語っているんだと。

たとえば、僕なんかが日本に生きてることだって、必然と偶然の上のことだけど、

これなんて、不公平っちゃ不公平。

そこに人が生きる上で出会う範疇や、限界と言うものがあって、
そのベクトルの中での価値観なんじゃないだろうか。

この記事にも書いたが、色々な偶然が重なって人生は進んで行くものではないのだろうか。

その偶然を不公平と言う言葉で切り捨ててしまっては世の中何も進まない。

一方で、やむなく自然を装って誘導するなんて言う、ステルスマーケティング的な動きだっていっぱいある。

プライベートを公開しているかのようにして実はそこにはいろいろな計算があったりだとか、思惑に則って進行していることだってあるだろう。

そういったことをしている分野から、それこそ不公平と言う言葉は聞きたくなかったのが本心だ。まあ、お金にならない・・・と言うことなのかもしれない。

でも、那須塩原って、ほんとすごいなと。人の縁、だからこそ動く!

だって、彼女は那須塩原の住民でもない。でも、那須塩原の牛乳が好きなんだと。そこからちゃんと動きが生まれる。

那須塩原の番組を担当していて、すごく嬉しかった出来事にもなっている。

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僕は好んで那須塩原の牛乳を。

本州での生乳生産、出荷ナンバー1は伊達じゃない。

彼女が元気になったら、それこそ那須塩原の温泉へ家族旅行、招待したい僕が居るのです。

そんな日が早く訪れることを祈りつつ。


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