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誕生日に寄せて想うこと

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誕生日に寄せて思うこと・・・   ここ何年かの確信として、 よくラジオをやりたいなんて人が、 『情報発信』なんて言葉をつかってきますが、 僕はそんなことではない・・・と思っています。   ラジオは、聴いている人しか聴いていないのですから。 これが当たり前であり、大前提。 だからこそ、その方々に向き合う時間を作ることが、番組を育てることなんだと思っているわけです。 番組を聴いてくださっていることに『向き合う』とはどういうことなのか? つまり、ラジオをやりたいと言う人、やってる人が、情報発信を…なんて言う言葉を使ってくれちゃう場合が多いわけですが、 今やネットの時代。 自分が求める情報は検索すれば、それこそ自分が求めた回答にに見合うものが、情報として見つけることもできる。 いや、マスに向けたメディアに対して情報を求めるよりも、 自分が求める情報を的確に発見する能力は、今はみんなが持っているといっても過言では無いと思う。 だから情報発信ではなく、今その時間を共有している人と、どう向き合うか、 向き合うためのメディアこそ、今僕が取り組んでいる番組たちなのだ。 例えば、子育てのお母さんに向けて向き合う、 お母さんの想い、言葉を受け止めるとはどういうことなのか。 お母さんが新たに買うことを推奨する絵本の紹介・・・ではなしに、 お母さんに向き合った場合は、 いかに子供だけの時間を創出するかということなのではないだろうか。 お母さんが求めているものは、子供の手が離れる時間であって、 その時間に朝ごはんの支度や、お弁当の用意をできる時間。 これを求めている。 そう考えると、お母さんに向き合った番組、 お母さんの思いを受け止めた番組・・・と言うのは、 それこそ、お母さんと一緒にいない時間、子供に夢中にさせてくれている、 【お母さんといっしょ】と言う番組なのではないだろうか。 この番組がやっている時間、子供を子供のみで向き合わせてくれる時間を作り出している。 お母さんと一緒じゃなくても、お母さんと一緒なわけだ。 それはお母さんが必要とするものに向き合った結果としてのコンテンツの1つの集大成。

そう、絵本の紹介やら、

子育ての話では無いのだ。

お母さんが、自由に動ける時間を作ること。それがお母さんに本当に向き合うと言うことの本質。

ラジオだってそうだ。テレビ番組でもそうだ。 では向き合うために何が必要なのか。

それは、日常の中で、子育て一生懸命したからこそ共有できる言葉、

経験もあれば、

仕事に全力で向き合うからこそ、仕事の辛さがわかったりだとか、 悲しい思いをした時に、それを忘れず、自分に刻む作業 飲み過ぎて二日酔いになって、それで翌日に向かう辛さも含めて、

要は経験、

その蓄積なのだ。

その経験と言う蓄積によって、 受け取った言葉をより心深く受け取ることができる。 つまりは日常の生き方、時間の過ごし方、それを心にどう止めおくか、 そういったことが表方の大切な作業なんだと思っている。 よく、翌日の番組のために準備をする…なんて言う場合があるが、 それはディレクターなり、作家さんなりに信頼をおいて、任せる作業なんじゃないかと。 表方が流されやってしまっては、やっつけ仕事の、 その場限りの情報発信にしかならない。 はたまた、『表面上の言葉の羅列』のオンパレード。 番組を面白くする…なんて準備ができない。 面白い人が、番組をやれば面白くなる。 準備して作り出した面白さなんて、 それはリアルタイムなメディアではない。 偽物の面白さ。 かっこいい人がやれば、それはかっこよくなる。 面白い人がやれば、面白くなる。 同じことをやってもだ。 嫌な人が同じことをやれば、 それは訴えられてしまうこともあれば犯罪にもなり得る場合もある。 壁ドンなんてその最たる例だろう。 かっこいい人がやればかっこいいんだ。 だからこそ、面白い人がやれば番組は面白くなる。 そしてそれを生かすのは、ディレクターや作家さんがさらに昇華させてくれる。 それが、それぞれの資質と言うもので、絡み合って、 面白い番組が出来上がるのでははなかろうか。 それを、無理矢理面白そうにしている番組も・・・ そんな番組もあるといえばある。 幸いにして、僕が携わる番組と言うのは、全スタッフに信頼を置いて、取り組むことができている環境にある。 だからこそ、表方と言うのは、常に色々な言葉を受け取るための鍛錬、 労作として、日常を過ごすことにあると思う。 そしてそれを忘れないこと。 そして番組の間、リアルタイムにその思いを受け止めること。 でなければ受け止める・・・なんてできない。 そして受け止めた場合次に行動すること。 本気で受け止めれば行動せざるを得ない時があるのが本物だ。

僕はこれまで、ラジオがあったからこそ生きて来れたと言うことを何度か言ったことがある。

それは僕が聞いていた番組のパーソナリティーが、本気で受け止めてくれたからこそ、

その先に、行動で接してくれたからこそ、

今僕が生きている現実がある。だからなのだ。

それは、すべて行動に…と言うのは難しいかも知れないが、行動にも波及することこそ、本気で誰かの言葉を受け止めた象徴では無いのだろうか。

今や、実に表面上の言葉で時間が過ごされてしまう番組が多いなとも感じるこの頃。 それが悔しくもある。 だからこそ、僕が携わる番組と言うのは、 全身全霊で番組に向き合ってくださる方の言葉を受け止めたいと思っている。 番組と言うのは、情報ではない。 時間の共有だ。 何十年か前までは違っていたかもしれないが、本質ではやはり、時間の共有なんじゃないかなと確信している。 46歳、 家族を大切にしつつ、 仲間を大切にしつつ、 番組を大切にし、 番組家族を大切にしつつ、 仲間を大切にしつつ、

番組を大切にし、番組にを味わって下さる皆様と、育てていきたいと思っている。

あらためて、メッセージ下さった皆様、ありがとうございました。


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