この4年ほどだろうか。
以前は8月に入れば、それこそ広島に関する番組、コンテンツ、
戦争に関する記録や証言、それを語り伝えてくれるものが多かった記憶。
それが小さいころからの、夏休みのテレビの中の世界と感じていた。
それが少なくなったのではないだろうかと。
着実に戦争を知っている世代は少なくなっている。
だからこそ、コンテンツとしては作りにくいという現場の事情もあると思う。
でも、夏って、そんなもの、にいっぱい触れる時間であったはず。
それが昭和48年生まれの僕の『夏の感覚』
それには自分に通ずる歴史を感じもした。
戦争を知らなくても、『悲しい』というものが何なのか、それを味わっておくべき8月、
今、どうするべきなのか?
子供たちの時代には、余計に、戦争という言葉が、
漠然とした希薄ものになってしまうのではないかと。
いずれ、そんなことに対する作業も出来ればと。
そのためには、それができる環境をつくっておくこと。
8月6日、それを感じる日でもあった。