川崎スタジオも、だいぶ環境が整ってきた。
あやめも、この環境が気に入ったようで、
録音しては、すぐさま再生して、
『自分がもう一人いる!』と驚いている。
それだけ、声の原音に忠実な録音環境が出来上がった。(笑)
それにしても、最近は国語を学んでこなかったのかなと・・・
そう思うくらいに、言葉に貧しい、読解力のない方もいらっしゃるわけで、
そういうケースには、音がどうこう以前の問題でもあるわけでして、悩みます。
ウィットに富んだ皮肉や、素直な言葉すらにも、
誤解・・・というより、理解できない方がいらっしゃる。
誤解だとわかれば、それには説明ができる。
ただ、誤解は、あくまで誤ってしまった解をベースに思考があるものの、
誤解でない場合、つまり、解というものすら存在を知らないケース、
あるんだなぁ。
だってね、
国語はテストになりうる問題として、学問として存在しているという事は、
文法があり、それには、解があるわけです。
その解から先は、解釈は自由かもしれないけど、
少なくとも、解までは、たどり着かなきゃ、
言われたこっちもお手上げ。
説明が分からない人に、説明しても、それは一向に進まない。
文法でなく、単語しか理解できない人もいて、
単語に反応だけしてしまう。
その単語、文節は何にかかっているのか?
それは、解があるのです。
だから、皮肉というものが成立するし、その逆の賛辞も、またしかり。
相手の立場になって、相手に倣う言葉を使うことも必要ですが、
大多数に通用するように、日本語を学んできたわけです。
それを理解できない自分を棚に上げて、批判しても、それはお門違い。(笑)
だから、反論すらしないけどね。
そういうのは、相手にしないに限る。
僕の中では、あの、元大統領夫人?なんかがそうなる。(笑)
文脈を理解せず、一文のみでしか理解できない人なんだなって・・・。
そういうのはどうでもよく、
ちゃんと言葉をわかる人へ。
自宅のポテンシャルは向上していく。
我が袖は
草の庵にあらねども、暮るれば露の宿りなりけり・・・
君に逢いたくて、それが出来なくて、
日が暮れれば、僕は涙を流すよ・・・
在原業平の恋歌だけど、
これなんかも、
自分の袖が草のように濡れるなら、
外でなきゃいいだけじゃない
なーーんて、理解して、反論されてもね・・・。