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選択の行方、それからの今。

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子供のころ、僕自身、それに僕の家族には「選択する」という選択肢がなかった。

ゆえに、「選択」に人一倍の憧れを抱いていた。

人生は、選択の繰り返しであると思ったりするのです。

比較して、選択して、選択したことに責任を持つ。

これの繰り返しばかり。

選択した後に、間違いだった・・・と気づくとき、「後悔」の念に包まれてしまう。

そして、選択に責任を持つとき、

それは、愛着だったり、カスタマイズだったりへと昇華したりする。

俳優ってのは、知名度に比例して儲かる商売ではない。

親父は俳優だった。

知名度もあった。

でも、金はなかった。それが正直なところ。

車はホンダZ、1973年式。ずっと乗っていた。

高級な車に乗った場合は、レンタルだった。


家には、金はないが、モノは・・・とにかくいっぱいあった。

クイズ番組の優勝商品、参加商品、知人からのプレゼント、ファンからの贈り物。

とにかく色々なモノが、家には、集まっていた。

ポットが4つもあったり、炊飯器が3つあったり、

ゆえに、量販店で家電に関して気に入ったアイテムを「選ぶ」ということが出来なかった・・・。

もう一度言っておこう、家には、そんなに金はない。

でもモノはある。


ただ、子供が、子供時代に選ぶことが出来るようなモノ・・・消しゴム、糊、鉛筆、

・・・一般的に文具というようなものは、さすがに贈り物ではもらうことはない。

そこは厳しい「節約」という作業によって、選ぶようなことが出来る権限、

さすがに子供にはなかった。

学校の友達が、文房具屋「つくし堂」やら、「玉川学園購買部」で消しゴムやらを選択している作業を、羨ましく眺めていることしか、子供の僕には出来なかった。

『消しゴムさぁ、MONOにする?こっちの薄ブルーのにするか、どっちがいいかなぁ~』

なんて

友達の声が、とにかく羨ましかった。


「プリット」「フエキ オーグルー」なんかの糊を、比較して買っている友達が輝いて見えていた。

うちは「ご飯粒で同じでしょ」と、糊ではなく、ご飯粒で、ドリルのプリント、ノートへの貼り付けだった。

まあ、この例は(事実だが)極端すぎるとして、

とにかく、小さかった僕は、子供が「選ぶ」作業をさせてもらえる環境とは、無縁だった。間違いなく。

いくつかあるとすれば、それは自分用では、「自転車」「アイスキャンディー」「花」・・・

あ、他に思い浮かばない。それくらいなんだな。

とにかく、僕の知る限りの、「他の子供」に比べて、極端に清貧な生活環境だったのかもしれない。


時々、おじいちゃんが家へやってきた。

駅の売店で「ガム、買っていいよ」と言われると、駅の売店の前で1時間以上は比較して悩んだ。

しかし、選んでいる僕を、ずっとやさしく微笑んで、おじいちゃんは待っていてくれた。それが申し訳なくもあり、また特別な時間だった。


たしか、ロッテのガムが60円だった。梅ガムが好きだったなぁ。

その60円のガムを選ぶ喜びは、とてつもなく大きなもので、その1時間は、「オトナ」の「選択」を楽しんでいる数少ない時間だった。


それから僕が夢中に選べる経験・・・「選択」できた経験は、

家で使うもので、父親のファンからプレゼントされそうにもないアイテム、

例えば、歯磨き粉、弟の紙おむつ、コーヒーフレッシュ、塩、こしょう、ドレッシングetc。

つまりは、お使いで、母親から頼まれるようなアイテム。


自分の嗜好ではなく、家族のみんなが使う、細々したものたち。

自分のための「モノ」ではないからこそ、それらをチョイスする責任は重大に感じていた。

子供の足で歩いて10分ほどの位置にあった西友では、弟の紙おむつを選ぶのに30分かけ、

パンパースがいいのか、ムーニーがいいのか。

そのギャザーの色使いの紙おむつを履いた弟が、家の中のハイハイしたとき、

その縁取りのカラーの色目はどのように映るのか、吸収性は?・・・そんなこと考えながら、漢字を解読しつつ、悩むのが楽しくもあり、至福でもあった。

トータル小一時間かけての買い物になったり、

つくし野薬局では、家族で使う歯磨き粉を買うのに、ひたすら成分まで熟読して、

わからない成分は、お店の人に質問して、何時間もかけて、歯磨き粉を選んだ。


「アクアフレッシュ」が発売された時は、そりゃー強烈な印象だった。

もう、海外の製品で、歯磨き粉の最先端に感じ、あのトリコロールカラーが、

どのようにチューブの中に入っているのか興味津々。

頭の中で、何度もチューブのMRI撮影を想像で行っていた。

ただ、僕の中にはアクアフレッシュに対して「流行りモノ」という斜に構えた見方もあって、

古くからの「ライオンホワイト」やら「エチケット」なんかに

「伝統」「トラッド」「長く愛される定番の魅力」なんてものを勝手に抱いて感じてみたり・・・。

なぜなら、アクアフレッシュ、値段的に、相対的には高かったから。

自分の中で、違う価値観にしたがって、歯磨き粉選びをする必要があったわけだ。


値段が高くて良いものは、アタリマエ。


コストパフォーマンスという概念が、僕の中に生まれた時だった。

握り締めた500円札で、どれだけ多くのお釣りをもらうかも、母親に褒めてもらうための必須条件であったから。


帰宅したら、歯磨き粉選びで、どれだけ勉強したかを母親にひけらかして、価格と性能における「品質のバランス」「コストパフォーマンス」で、僕が良いチョイスをしたか褒めてもらうのである。

まあ、今にして言えば、母からすりゃ、どーでもいいことだったのであろう。

でも、そんな「選択」は、自分の評価でもあり、成果でもあり、何より「楽しみ」でもあった。

日常で子供が「選べる」モノを「選べなった」反動が、生活必需品に向けられたわけだった。

それが、僕の中では、「大人のすること」を「自分も」していた時間だった。



さて、俳優である父親は、豪華な生活とは無縁で、実際は庭造り・・・花いじり、

今の言葉でかっこよく言えば「ガーデニング」が趣味であった。

今にして思えば、さして、金もかからない趣味であったのだと思う。

仕事が休みの日は、いつまでもベッドでゴロゴロしていて、

僕らに、ベッドに新聞を持ってこさせ、トーストを食べながら、新聞を読んでいた。

重い腰をあげて、あえて、着古した服に着替えると、出かけようとする。

ホンダZに乗っては、近所の園芸店に向かって車を走らせた。

そこで花の苗を買っては、庭に埋めて、枯らしていた。

その花を選ぶのも、時々僕は権利を与えられた。

ただし、覆されることがほとんど。


花の苗2つで、僕が1時間以上かけて選ぶ歯磨き粉と同じ値段。

それらを、さして悩まずに買っていた。そして埋めて、枯らす。・・・いつもの作業。

それが、当時の僕からすれば、親父は「金持ち」と感じた一面である。

人生は選択の連続。その選択から、また新たな選択が生まれ、結果へ繋がる。

父親に対する「初めて軽蔑」の念は家電店で生まれることとなった。

小さかった僕が日常の中で、選択を悩むことが出来るのは、500円以下のものばかり。


そこでだ、

特に家電の中では、ファンからプレゼントされるはずないモノもあるわけだ。

その中で、僕は、電池、電球、グロー球、そのあたりのモノは選んでいたわけだが・・・。

ビデオデッキやら、カメラ、炊飯器、洗濯機、そういうのはクイズ番組の商品だったりで、

頂いたものがいっぱいある。


しかし「電気ヒゲソリ」はプレゼントされることはなかった。

父親のT字カミソリでのヒゲソリ姿には憧れ、

ヒゲソリ後に、ピタピタ頬を叩いている姿と、資生堂ヴィンテージのアフターシェーブローションの香りも、いまでも鮮烈に僕の記憶に刻まれ、憧れとして残っているのだけれど、

舞台の楽屋では、化粧前にT字カミソリを使っているような場所もないし、

第一に「カミソリ負け」ということは、化粧をする直前に絶対、遭遇してはならない状況。

父親に電気シェーバーを買う必然性が生まれたわけだった。

それを買うことになって、北里大学病院へ向かう途中にあった「セキド電気」へホンダZを走らせた。


僕にも楽しみな時間であった。

普段、近所のスーパーではお目にかかることの出来ない電球の数々。

僕は、電球でも時間をかけて選んでいたが、

所詮は、西友か東急ストアに並んでいる3つくらいのアイテムからのチョイスであったわけ。

それが相模原にあった「セキド電気」に行けば、何十種類という電球があって知らないメーカーもあり、値段も半分以下の電球があったりで、価格の不思議を感じつつ、

ひたすらと電球を眺めては、手にとって、ポテンシャルを確かめていた。

そんなことをしている僕をよそに、父親は電気カミソリを、5分も悩まないで、

「じゃあ、コレがいいんでしょ」

懇意にしていた店員さんが一番最初にお勧めしてくれたものを、見ることもせずに

買い物カゴに放り込んだ。


値段を見れば1万円近くしていた。

500円の最大予算を最高効率を考えて時間をかけて選ぶ僕からすれば、

それこそ「比較もしないで、なんてことしてんだ!!!!」ってな事態だった。

今に置き換えた感覚で言えば、

僕らの日常の金遣い・・・そこから比較にならないほどの金額を

議員さんが経費として請求できてしまうような感覚を「シンジラレナイー」と眺めている・・・それに近い感覚とでも表現しようか。


電気シェーバーは数十種類は並んでいた。

デザインも、色使いも、刃も、そしてメーカーの理念も違うのだろう・・・ということは僕にもわかっていた。しかし、そのどれもが目的はひとつで「髭を剃る」ということに向かっている。

なんかスゴイことじゃないか。

ひとつの目標に向かって、色々なモノがひしめき合って

「僕を選んで!」と言って主張しているようだ。


その、一つ一つの主張に耳を傾けることなく、「じゃあ、コレで」なんて、

電気シェーバーといわれる、この子達になんて失礼なんだ!!

いや、お父さん、急ぎで買いたいのは、わかるんだよ。

明日から使いたいんでしょ。

この後は家に戻ってご飯だから・・・ってのもわかってるんだよ。

だけどさ、選んだ機種の横にも下にも、電気シェーバーあったでしょっ。

それらを見ることも、手に取ることもなく、ひとつも手を触れずに、

店員さんの説明もろくに聞きもせず、パッケージの箱をカゴに放り込むとは何事ぞっ!

店員さんだって、説明したがってたじゃないか。

せめて、最低でも10分は悩めよ。


店員さんに失礼だ。何より電気シェーバーに失礼だ!!!

僕が選ぶのだとしたら、各メーカーのパンフレットを集めて、

10日は比較検討して、悩んで・・・そんな金額を支払う決断。

500円以下の選択、決断に慣れている僕からは、軽蔑の念になっても仕方なかった。


電気シェーバー以外にも、ベータのビデオテープもそうだった。

これは父親が出演しているテレビを録画するために必要なものだったが、

いくつもあるテープカセット、そしてパッケージには、

性能やら、品質、画像、音についてのウリがわんさか書かれているにもかかわらず、

それらをちょっとでも・・・読むこと・・・熟読することもなく、

「うちのソニーだったよね」の一言で、ソニーのビデオカセットをチョイス。

おい、お父さん、世間がみんな貴方と同じ価値観でモノを選んでしまったら、

ソニー以外のベータのビデオテープ会社は潰れてしまうんだよ。(専業会社はないだろうが)

そして、値段だって見てないじゃないか!


これはもう軽蔑である。

僕の日常での選択の作業が、まったく行われていないわけだから。

そして、ちょっとの金額の、モノ選びに対する、その金額の差だけで・・・


僕が、とにかく憧れていた、

友達と選ぶことを一緒に出来ていない「消しゴム」が買える。

鉛筆も、糊も。


そんなこと、わかってないなぁー・・・ということも感覚として大きかった。

とにかく、今にしてみれば申し訳ないが、

普通の買い物をしている父親を、「金遣いが荒い」と感じていた僕だった。

家にいることが少ないから、仕方ないのかと・・・そんな思いもあった。


そう、母についても触れておこう。その責任は母親にもあるのだから。

うちには「金がなかった」と僕は冒頭で言った。

幼稚園や小学生そこらの子供で、家計を知る由もないわけだが、

母を見ていれば、それがわかった。


父親の事務所というのは、母方の祖父がお金を出して、設立してくれたものだった。

父のための個人事務所であったが、人を雇うということは、まさに出費である。

そこはなんとしても切り詰めたい部分であったのだろう。


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その祖父がお金を出したこともあり、

母親がマネージャーとして、そして時にはデスクとして働いていた。

よく芸能界のマネージャーという存在に対して、一般的に誤解を得る部分なのだけど、

マネージャーは、俳優やタレントと行動を共にすることは滅多にない。

一緒にいるイメージがある(一般的にマネージャーと誤解されている)のは、

付き人さんであったり、現場マネージャーと呼ばれる方々のこと。

現場を効率的に回す役目の人。


本当のマネージャーってのは、俳優やタレントが仕事をしている、その時間こそ、

次の仕事を獲得するための営業をしているのだ。

事務所から出る場合もあれば、事務所でひたすら電話交渉していたり、

格上の存在感を漂わすために、あえて、先方様とは会わないマネージャーもいる。

僕の母親が、実は、それ、一番のマネージャーだったのだ。


岡田眞澄のマネージャーの「鈴木」と言えば、仕事で関りあった方には、「あぁー」となるかもしれない。その「鈴木さん」こそ、

母の裏側の姿だったというわけだ。

結婚後は、岡田眞澄という商品を、自分も同じ世界にいたからこそ、

営業で売り込んでいた。

岡田眞澄オフィスの「手ごわいマネジャーの鈴木」と呼ばれたその人。


まあ、母がいなければ、『岡田眞澄』という俳優の仕事、出番も、そんなになかったかもしれない。


そんな「鈴木さん」をやっていた母は、毎日のように南青山の公団マンションの一室、602号室に通っていた。マネージャー業をするためである。


我が家は、東急田園都市線のつくし野にあった。実は、まだ駅がない時から。

まわりは空き地、道路も舗装されていなかったり。田んぼだった。

でも、しばらくして駅が出来て・・・


父親の個人事務所の最寄り駅は地下鉄銀座線の「外苑前駅」。

位置的には、駅が出来てから、

つくし野-(渋谷)-表参道-外苑前というものだったが、

ここで大きな問題がある。

渋谷までは仕方ないとして、その先の表参道駅まで電車を使うと、

渋谷からは営団地下鉄の扱いとなるので、初乗り加算がされてしまう。

当時、120円やそこらだったと思う。


それが、田園都市線で20駅も電車乗って、その先の「たった2駅なのに」と言う感覚があった。渋谷から先、いきなり120円の加算は痛かった。

母は、毎日渋谷で電車を降りては、片道120円の節約のために2駅ぶん、歩いていた。

要約すれば、岡田眞澄の妻は、旦那の事務所を切り盛りしていたわけだが、

それゆえ、往復240円の節約のために、往復4駅分歩いて通勤してた。

ってことだ。


これは、幼稚園や小学生そこらの子供から見ても、「うちには金がない」として、

しみじみ感じる部分であった。

母親の帰りが遅くなる場合には、僕なんかは学校終わりに「事務所へ」ってなこともあったわけだけど、その時に、母からもらってしまう「60円の地下鉄代」に心痛んだ。


この2駅を僕も歩けば「消しゴム」が買える。だけど道がわからない。

そしてお母さんは歩いているのに、僕は電車を使ってしまう。申し訳ない気持ちだった。

営団地下鉄半蔵門線での1駅分、表参道までと、表参道から外苑前までの営団地下鉄銀座線での1駅は、

その60円の元を取るくらいに観察して乗っていた僕が居た。先頭車両で。


そうして到着した南青山の事務所、602号室では、子供の目からも華々しく見えた岡田眞澄という俳優、つまりブランドを支えている裏側の仕事の人たちの動きを目にすることとなる。

表に出る商品(岡田眞澄)を裏側で緻密に計算し支える開発者や営業、戦略の存在があることを、意識せざるを得なくなり、興味津々。


なぜなら、その一番の開発責任者が、母親だったから。

学校で習う「算数」とは違った計算が、その仕事では動いていた。


人を売り込む計算にシビアだった母親、

いわば、家族を支えていた母の買い物には、当然、計算機がつき物だった。

スーパーでは「一番安いもの」を買う。

表面の金額が多少高くても、計算機でグラム数で割って、安いものをチョイスする。

完全に「安いもの」=「ベスト」、それ以外の価値観が存在しないようにも感じていた。

なんでこんなに清貧の生活を送っているのか・・・・


僕には当時わかる由もなかったわけだが、

俳優業なんてものは、いつ収入がなくなるかわからない。

その時のための保険的感覚が母の中にはあったはず。

実際は、収入をマンションを事務所で買って賃貸経営し運用していたり、

土地を買っては、事務所で活用したり、父親のイメージのために活用したり。

せっせと、定期で預金したりしていたんだよね。


まあ、父親の、そして家族の将来のために蓄えていたわけだった。

まあ、その時、予期しなかった未来・・・今からすれば、

過去の現実では、そんな母が行っていた蓄えに、

母も僕等も触れることは、一切できなくなってしまったわけだが・・・・。


ぜんぶもってかれちゃって、僕らが捨てられたからね。(笑)

母は、とにかく父親を支えて、家族を支えてくれた。

今は感謝の気持ちしかない。


いわば、芸能界で仕事を続けるリスクは、母は知っていたんだよね。

でも、今、僕はこの業界での仕事を続けていられるわけだけども、

同じ仕事をしている、それで生活が出来ている友達はずいぶんと減ったと感じる。

結婚を機にやめていく仲間が多い。

小さい頃は、スゲーェなぁー・・・と見ていた、父の共演者の方々が、舞台とは違った仕事へと転職する姿も数え切れないほど見てきていた。

それが、今、自分の身の回りにも実際におきている。

それを見越した、母の節約観念というのは、芸能界と芸能界のカップル婚であれば、どちらかが危機感を持ち、危惧していれば、当然のことだったのかもしれない。

だから母は「お金は使うものではなく、貯めるもの」という観念だったはず。

そんな母が、事務所を仕切っていたからこそ、岡田眞澄という俳優は仕事を続けて行けていた。

ゆえに、自宅には、週5日くらいでお手伝いさんが居た。

それが、周りからは、金持ちのように見えたようだが、

実際は、事務所で人を雇うよりも、お手伝いさんの方が、費用がかからない。

マネージャーとしての経験がある人は高かったし、

見つけるのが難しかったからと覚えている。

お手伝いさんは、家族そのものだった。

いまでも、「おばさん」と呼んでは、一緒に旅行するくらいの関係になっている。

ただし、兄弟で、お手伝いさん相手に「ストライキ」したこともあった。

理由は「お金が欲しかったから」

なぜなら、小さかった僕ら兄弟には「おやつ」なんてものはなかった。

「おやつ」という概念自体が、僕ら兄弟の中にはなかったと記憶している。

「おやつ」という概念が存在していたとするなら、贈り物で届いた「高級フルーツ」などを食べること。

でも、「高級フルーツ」って、子供からすると、それほど「食べたい」というものでもなかった。

ゼリエースやら、コイケヤポテトチップス、タコ焼きくんへの憧れの方が強かった。

それらを食べたかったのだ。お手伝いさんの財布にはお金が入っている。

それで、僕らの夕食をスーパーで買って、作ってくれる。

そこで強硬手段に出たわけだ。

僕らの要求は

「夕食は買わなくていいから、親には内緒にするから、『お菓子』を買ってくれ」と。

ストライキは成功した。

ただし、親には報告された。

こっぴどく両親から叱られた。

一晩中、首謀者である(とされる)僕は家に入れてもらえず、

本当の首謀者であった弟が、2階の窓から、車のスペアキーを投げてくれ、

僕はホンダZの後部座席に隠れるように寝た。

翌朝、父が車で仕事に出かける時に僕は目覚め、隠れたままだったので、

そのまま車は走り出した。

いまさらながら、僕の人生で一番の不安な時間といっても過言ではない。

「ごめんなさい、学校に行きたいので、降ろしてもらえますか」

という言葉とともに、後部トランクに居た僕は存在を明かし、

父親は大笑いと共に、びっくりしつつ、抱きしめてくれた。

「お前のアイデアはすごいな、車で寝たとは思わなかった」

「お兄ちゃん思いの弟にもありがとうを、家に帰ったら言いなさい」といわれ、

車を降ろされた。

人生でお菓子のためのストライキは、惨憺たる結果を生み、

僕は学校へ遅刻するはめに。

担任の中島先生に遅刻の理由を説明しても、わかってもらえることはなかった。

後日、親と先生の話で、先生には、遅刻の理由、理解されたわけだったが・・・。

なにせ、その事件からも「金がない」は、僕の感覚に強く刻まれた。

数十円のお菓子のための結果がコレだったわけであるから。

色々な事件があった。

涙と共に、「モノを見る」ということ、

比較すること、選択すること、大切にすること、

観念として浸み込む経験をする体と脳、心になっていった。

中学では「青雲塾生」として、選ばれし24人のエリート学生?として

24時間、寮生活で先生と共に寝起きして、学校の敷地外に出ることはなかった。

買い物とは無縁の世界であった。

その一方で、「モノ」への憧れは、反比例するように高まりもした。

母子家庭という、僕自身の味わっている生活の実際と、

一般の中では、あのテレビに出ている人が良き父親だと思われ、

「優雅な家族」と思われているギャップには、飽き飽きしていたし、

それこそ、高校生の時には、テレビの嘘が、あたかも「真実っぽい演出」で

事実かのようになっていることを、身をもって味わった。

「なんで人の家庭の離婚相談なんてしてるんだろうか???」(笑)

「まずは、自分の家庭をなんとかして、父親してみたら!」と叫びたい程だった。

まあ、一番怒っていたのは、お手伝いさんである「おばさん」だった。

母親が働きに出ていたからこそ、家のことを、僕らのことを母親のように心配してくれていた存在だったから。

一気に十年時間を近づけよう。

高校生では、バイトをしまくった。

自分で金を産める!金を生産できる!!

それを使える!!

その喜びは大きかった。

それまでに憧れていたことが、自分でできるようになった。

その頃には、僕は自分で金は産めたが、時代はバブル期後半。

逆に父親もテレビのレギュラーが多数決まったり、仕事は増えていた。

金回りが良くなって、ガーデニングとは無縁の、違う遊びをしていた(ようだった)。

選択を楽しむことができるようになった僕だったが、

選択できない「親」は、母を残して、やはり消えていった。

父親は、新しく選択していたのだろう。

これは、仕方なかった。

お金があれば、「選択できる」と思っていた僕だったわけだが、むなしかった。

ただ、その状況では、僕に選択の余地というものは、

お金があっても出来ないこと・・・があるんだ

ということを思い知らされた時期でもある。

無論、金で親を何とかする・・・なんていう金額を僕が持ってるわけないが、

お金で選択できる喜びを享受した一方、

お金という価値だけでは、「選択できない」ものがあることも、

悲しいかな、その時に学んでしまった。

親を選ぶなんて事は出来ない。

人という存在に対しては、僕の見る目は、世間とは違う視点でも見えるようになってしまっていた。

ベストファーザー賞なんて受賞しているが、実際は父親は家には居ない。

周りから、「いいお父さんで羨ましい」とは言われるが、どこで何してるかわからない僕だった。

一般的な認識と、本質を見ようとしてくれる人・・・との違いも勉強してしまった。

そんな僕を助けてくれたのは、ラジオだった。

深夜のラジオは、それこそ、いろんな聞き手の悩みやら、笑い話が交錯していて、

自分の置かれた環境は、まんざらでもないと、思わせてくれた。

ペッカーさん、赤坂康彦さんからは、直筆のカードが届いたり、

僕の「コーラの味が、地域で違う」という投稿で番組が盛り上がった時、

初めて、ラジオの現場のディレクター、長崎栄さんと会うことになった。

長崎さんがかっこよかった。

こういう人が、僕が毎週楽しみにしているラジオを作っているんだ!

当然、高校生の僕はラジオへも傾倒していった。

そして、今、ラジオをやらせてもらえている。ありがたいことだ。

そんなラジオに支えられた僕だったからこそ、

ラジオがテレビと違っている部分の「何か」に気付いて、

ゆえにラジオを大好きになる部分がいっぱいあった。

その一方で、

弟には、ラジオはなかった。

だからこそ、ええかかっこしいだった弟は、父親の非情で、自らそれを消化することもできず、誰かの話で、紛らわすことも出来ず、

そして自らの責任として、命を絶った。


親が自分の子供を、殺めちゃなんらんですよ。

手を下してないにせよ、追い詰めちゃ、ならんでしょー。

責任、子供にとらせちゃー、だめでしょー。


命は、お金ではどうにもならんのだね。

お金のチカラ、女性のチカラ、凄いもんなんだなと。

良い意味でも悪い意味でも、すごく感じてしまった僕がいた。


それは、今月からスタートした

Nack5の「女性応援課」という番組に反映できればと思いながら、

母親に対しての尊敬の念を思いつつ、今、取り組んでいる。


そうそう、昨年の今頃、テレビに対して悩んでいた。

そろそろ、母が、ちゃんと理解されてもいいんじゃないかって。

僕ら兄弟も、誤解されたまんま、

ニコニコしてるのが嫌になってたという過去があったから。

まあ、そこでもとにかく、さらに誤解を生んだなと。

仕方ないのかなと、認識するしかなかった。


勝手な反論をいっぱい目にした。

テレビの「演出」という名のもとに、話が変化していたり。

弟の死が描かれない、母親の努力が描かれない、

まあ、着地点が、テレビ局の理想と違っちゃっていたからなんだろう。


それから生まれた反論もあれば、なんとも勝手な不思議な反論まで。(笑)

母親を悪者にした反論には、「いろいろ想像で凄いな!」とまで思った。

事実を知らないことで、まあ、よくも・・・と。(笑)


でも、それは仕方ないことなんだろうなって。テレビなんだから。

そう感じていた一年前の僕だった。


だから、ラジオでも、テレビっぽい「演出」みたいなものは、

ほんと気持ち悪く感じるし、嫌悪感すら抱いてしまう。

悲しいかな、演出で真実かのようにしちゃう番組もあったりするからねぇ。

そういうのがないラジオじゃなきゃ、僕は没頭したくない。それも選択。

そもそもラジオだって、聴いて下さる方から、選択する、される自由がある。


選択の、一つの価値観を、番組にしたら、どうなるんだろうか?

それがカタチになっているのが、今の文化放送「キニナル」。

お金で買えるものではない部分をクローズアップしてみたり、

お金で変化する現象を探ってみたり。

そんな、独自の視点での番組作りが、仲間と共に進行している今。


お金で買える価値、買えない価値、すべてをひっくるめて、

独断、偏見に満ちた、人生が反映された、独自の偏見満載の価格.com

のようなものと思って、文化放送のキニナルを味わっていただけたら、

きっと値段以上のもを、

心のどこかに、今の世の中として刻んで頂けることと・・・願いながら。


なんだか、今担当させて頂いてる番組は、ほんと、

僕自身が没頭すべき番組なんだろうと感じている。

RadioBerryの佐藤プロデューサーから教わったことを守りながら、

教えられた、その話の進め方には、すべてに応用できる術があったから。

これはお金で買えないものだし、そういいながら、

一方で、今の僕のお金にはなっている。(笑)


そして、青山くんや、金巻さん、アーリーやヤギちゃん、神谷さん、はじめとして、

今の僕が担当してるラジオ番組のすべての仲間。


RadioBerryの仲間、番組一緒じゃなくなったが、トシに高橋君、トッキーはじめみんな。


Nack5でも、趣味に新しいフィールドを与えてくれた片岡さんや、村木さん、松本さんはじめ、堀さんや、東京エンタのみなさん、


お金で買えない仲間・・・ではあるが、・・・


あ、尊敬すべき彼らのセンスやら技術は、番組で雇えば、手に入る・・・とも言えるかも知れませんが・・・(笑)

そろそろ母の日を前に、なんだかありのままでもいいんじゃないかって。

引きずられることなくね。

番組のことを考えて、反省しつつ、なぜ、

なぜ、今、時分がその番組を担当するのか・・・などなど、

番組に対する、向き合う必然・・・そんなことを考え、

Nack5「女性応援課」のこれまでの放送なんかを聞き返しながら、

いろいろ根源を考えてたら、

こんな長文になってしまった。


さあ、今日も生放送です。


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今日のキニナルは、

僕がちっちゃい頃からいじってた、カメラについてです。



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