昨年から、川崎市の小学校の現場で、
寺子屋の先生として、子供達に接していると、子供の学びに関して、
現場と家庭と、その両方の感覚を肌で感じ取る事が出来ている。
そんな立場ゆえ、
学校の先生方と話していると、
おそらく、先生同士で話している場合というのは
触れないようにしている領域の話題があるのだなと察する。
でも、
私という異分子がいることで、
導火線の役割として存在し、
普段は教師同士の会話では、そこに上げない本音として、
『親御さんに関する話題』熱く語られる場合がある。
これは興味深い。
先生方が切り出したのは、
果たして、何を目的に家庭での勉強をさせているのか?
親御さんが『子供が学ぶため』に教えている家庭というのが、
意外にも少ないのではないかと・・・
つまりは、クラスという枠組みの中で、
親の立場として、恥をかきたくない・・・ということが目的になっている、
子供の学びとは別のところに、家庭での学習の目的がありそうだということ、
これは異口同音な意見としてあるのだと気づかされる。
覚えるためだから、家庭ではテストはしなくていいものの、
テストのためのテストが、家庭で行われている兆候が顕著だと。
家庭での勉強は、覚えるために、答えを見ながらでも
正しく覚えてくれればいいのだが、
その行動こそが学習というものであるにもかかわらず、
確認ばかりが行われて、予習という名の確認ばかりが行われているのではないか・・・
そして、親御さんが『教えた』という自分の責任を全うした満足感が、
子供自身の学び自体よりをも、目的として上回ってしまっているケースも多いのだということ。
自宅学習では、答えを見ていい。
それが経験として学びになってくれればと。
そもそも、学校での学習でも、『覚えること』は、漢字など、その『答え』をみて覚える。それが学び。
家庭は、その学びのテストの場ではないはずと言う事。
親のための学習ではなく、本人が興味を持って考えるための学習を。
先生方と話す本音の話題は、
大切なことばかり。
我が家でも、そこは自戒せねばと。