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その集合体を、また切り分け、
一人一人に戻した時、
集団の意志決定により、
個々が歪になる事もあり得るのではなかろうか。
そして個々が立ち行かなくなる場合も。
明らかに、個々においての環境は
緩いものになってしまう可能性も
どの世代においても、
上の世代を見てきている。
日本の高度成長期、
色々な不満はありつつも、
成長を成し遂げた。
そこを見てきて、さらに良くしようと、
個々が理想を描きつつ、個々の権利も
欲した時に、集団にフィードバック。
実際には、実現不可能な夢になってしまう事もあるだろう。
例えば、色々な要求を飲み込み過ぎて、
ひとつの車を開発した場合に、
結果、出来上がるものは、
商品力のないものになり得るという事。
特化して個性ある、
競争力のある商品から遠ざかってしまう。
集団で意思決定した時に、
ダイバーズウォッチは、出来上がらない。
どこかで、『もっと軽く!』なんて
意見もあることだろうからね。
ジムニーだって、ランクルだって生まれない。
多様性が叫ばれる中で、
その多様性を、意見を取り入れる事で、
逆に認める事が難しくなる結果を
招いているのではないだろうか。
意思決定する際に、
取り入れるばかりで、満足してしまい、
結果、多様性の尊重とは無縁な社会。
それが出来上がってしまう。
意見を受け入れるのでなしに、
結果を認めることが、
本当の多様性の存在意義。
『その道』というのがある。
その道は、その道に任せておけばよいのだ。
その道の意見も、あの道の意見も取り入れて、ひとつの結果の社会を作り出そうとする事で、その意志決定は、強固なものとなってしまい、不都合なルールばかりの社会に。誰得でもない、
でも、『意見は取り入れたのだから』
これを免罪符に、
集団意思決定のルールばかりが
強くなってしまい、
それぞれの『その道』が弱くなってしまう。
教育でも、国家としても、
弱い成果しか生まれなくなってしまう。
なんだか漠然と今の日本の弱さは、
そんな所から来てしまっているのではないかと。
911当時、
アメリカ国家中枢は、
数々のルールの中で、
それまでの集団意思決定の結果により、
意志決定が出来なかったと検証されている。
日本はどうしたら、強くなれるのか。
まずは、教育という未来を作るための今、
それを少しずつでも、
集団から個を考えた上でのものに
して行く事なんではないかと思われる。