昨年は、蜂窩織炎で長く入院していたあやめが、
今年も蜂窩織炎になってしまった。
親としては、自分を責めるばかりである・・・。
病院が終わってからの救急外来で、昨年入院した日医科大へ。
足首は2倍に腫れあがり、腕もポパイかのように腫れあがっている。
でも、この笑顔である。
診断はやはり蜂窩織炎。
でも、家に戻ってから、
痛みがあると、初めて言った。
病院ではお利口さんだったと言わんばかりに。
いやいや、それじゃ、病院行ったことに対して本末転倒。
でも、そんなことは日常にも、大人でもあって、
配慮という名のものとに、お利口さんになってしまっている場合も。
本心は別のところにあるにもかかわらず、
配慮を優先してしまって、
大切なことは、信じられなくなってしまうというもの。
誰もが、本心はある。
でも、その本心を言わずして、お利口さんに控えたばかりで、
後から、期待に応えられないと言われても・・・。
そりゃー、逆に信じられてないんだな・・・となっちゃうよ。
医師は、痛みを気にしていた。
それでも、お利口さんで、
まあ、入院したくないという思いがあったとはいえ、
そこは正直に言わなきゃ、医師は対応のしようがない。
ワガママに見られたくない・・・という思いがあったにせよ、
正直な部分も語ってもらえる事も、大切。
言葉を受けた側は、相手から
『真意は伝えられるような相手ではない・・・』
と思われているんだなと。
もし、娘も、今夜、以前もお世話になった田辺先生ならば、
『痛いです』と言えてたと、帰宅してから言っていた。
いわば、今日の救急外来の先生の前では、
とってもお利口さんを装っていたわけ。
実は、信じていなかったということ。
田辺先生への信頼と、今日の先生への信頼の違い。
でも、今日の先生も信頼できるんだよと、教えた。
そこは、本当のこと言わないとー!!
痛みを解消できるか、できないかは、また別の問題。
痛みを緩和できないときには、耐えることを理解せねばならないが、
まずは痛みがあること、それは言わないとー。
あまりにも、世間では建前とは別の、お利口さんな
表向きの言葉・・・ばかりで、本質が議論されていないと感じることも多々ある。
ワガママになると思っても、第一の希望は伝えないと。
やはり、信頼というものがないのかなー。
それとも、まったく別で、そもそも、本当のことを言う相手ではないのか?
今夜の先生は、あやめにとっては、後者なのかもしれないが、
もし、田辺先生だったなら、痛みがあると言っていた・・・のだと。
最近よく耳にする熟年離婚なんて言葉も、
奥様が、あまりにお利口さんでいすぎた結果なんじゃないかと。
そう思ってしまう僕もいる。
本当の希望を伝えることは、ワガママとは違う。
ものわかりの良いワガママは、相手にも信頼していることの証として映る。
そうでなきゃ、手遅れになってしまうことも。
お利口さんでいすぎると、一瞬はいい子に見られそうだが、
その実、良いことはない。
真意はどこか・・・見極めなきゃ。