仕事を進めながら、
はたしてこのままでいいのか、そう考えるときもある。
仕事自体には、そりゃ、コンテンツを自信もって電波に乗せているわけだし、
あるときは横柄に、そしてあるときは細心に。
誤解されると困るけど、
そこそこ横柄さも必要で、
そうでないと、番組が縮こまってしまうから。
でも、物事をどの側面から見ていくのか、
そして一側面だけでなく、他に、どの側面から切り取って行くかも、
そこには、番組前の段階で、日常からの思考、その訓練が必要とも思う。
よく、『能力の枯渇』なんて言葉も聞かれるけれど、
それは、送り出すコンテンツをマニュアル化してしまったときに起こる現象だとも。
胡坐かく場所が違うと、起こってしまうことのように、
今の僕は考えている。
ひとつのグラスを見ても、色々な視点がある。
その視点の切り替えを日常から行うこと、忘れないこと。
ただ、「話」に対してだけではなく、
静物に対しても、それをしていると、面白い見え方があったり。
実は、こんな位置関係だったりする。
「ありのままを伝える」なんてかっこいい言い方する人もいるけれど、
写真3枚、全部、ありのまま。
でも、見る位置がかわれば、
「ありのまま」が違って見えるわけだし。
新聞の記事を読んでも、そこに想像力が必要とされることは多い。
それこそ、名ディレクターの松澤良昌さんのおっしゃる
アナウンサーと、パーソナリティーの違いでもあると思う。
番組にいただくメッセージに、唸ることもあれば、
???な時だってある。
皮肉を皮肉と受け取られずに、額面どおり受け取っての批判だってある。
まあ、そりゃ甘んじて受けるわけだけど、
そこに番組をあわせて行っては、成長はない。
この場合の成長と言うのは、あくまで「番組の成長」
番組って、育てていくものだと教わったから。身をもって感じていもする。
番組から流れる言葉だって、ありのまま・・・が「額面どおり」と言うことではない。
そこには言葉遊びがあったり、皮肉が存在して、その上だったり。
だから面白いし、そこにピッタリな選曲を選考してくれるディレクター氏がいて、
パーソナリティーは、そこに乗っかりもする。
でも、ふと、最近は数字のことを考える。
このまま生きていけるのだろうかとか・・・。
色々な方々とお話するたびに、
僕らの・・・否、僕の給料には幻想を抱かれている。
いや、確かに、・・・それは理解できることなのでもあるが、
現実的に僕は、まったくそんなんではない。
そこらの20代と変わらぬと感じるような(笑)
でも、今の僕のポジションは、夢を信じて入ればこそ。
叶えたい理想のためにはベストなのです。
将来に不安を抱えつつ・・・だから、聴いて下さる方と同じとも言えて、
「ありのまま」が理解できる自分でもあったりする。
それも、『ありのまま』ゆえなのか。
まだまだ、信じて、進んでいく。
終戦記念日である。
ありのまま、どの視点からの『ありのまま』の記事や特集が組まれるのか。
色々な視点、立場からの終戦記念日の受け取り方を、
しっかりと考えたい。