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Channel: Shinzen's EYE!
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一括りではなく

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よく『○○新聞は』と一括りの印象や価値観で決めつける人がいる。

そういうスタンスのラジオ番組もあったりする。

だからって、その新聞に目をやらないというのも、またこれはこれで、アンバランスな価値観を自分の中で増幅させてしまうのではないかと感じている。

だって、文化放送の中でさえも、番組と番組でスタンスがまったく違うものもある。

そんな番組としての基本プロセスが違うのに、『文化放送だから』という意識だけで、一括りの価値観で向かってこられて、困惑することだってある。

『個』を見るチカラが欠如してる倫理観というのであろうか…。

それは、僕が世話になっているどの局でもあること。

だから、新聞も、どの新聞社かで、一括りにするのでなしに、どの記者さんが書いたのかを、同じ立場で読むことが多い。

とにかくこのブログでも何回か触れていることだが、産経新聞には、僕は好きなカメラマンが何人も。ファンである。大山文兄さんを筆頭に。

一方で、産経とは新聞社としては相容れない毎日新聞にも、僕がファンの記者さんがいる。

毎日新聞青森の、 石灘早紀さん。

この記者の書く文章は、とても冷静に自らを俯瞰で分析しつつ、事象を的確に書かれる。

そして、文体も好き。

毎日新聞を広げると、この名前を探してしまう。

『この新聞が好き』はあっても、『この新聞が正しい』は思い込まないようにしている。
その逆もまた然り。

例えば、演出家は嫌いでも、その舞台に立つ一人の俳優の芝居には感化される自分が居た…ということと同じ。

『一括り』という概念にしてしまえば、大きな集合体に自分が居る大まかな安心感は得られるかも知れないが、一個人としてのレゾンドテートルを消失してしまうことがあると思う。

そんなレゾンドテートルが 石灘早紀さんにはあったりするんじゃないかと。

もちろん、僕もパーソナリティとして、それを大事にして、番組に向き合っている。

そういや、月曜日、今日、朝日新聞の暑気払いに呼ばれている。

だけれど、仕事の都合で、そこに参加出来ない僕が…。参加したかった。

参加して、朝日新聞の記者さん、一人一人と話したかった。
飲みたかった。

同級生の渡邊哲也、てっちゃんも、朝日の記者。名前を見ると、辛辣な記事からも、昔のてっちゃんを思い出す僕が。

朝日には、今度、突然顔だします。(笑)

一人一人の価値観を自分の中でちゃんと作って、それで勝負。

新聞記者も、ラジオのパーソナリティも。

俳優は、それを極力排除しつつも、出ちゃう。相反する作業。

だから、両方面白い。


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